本文へ移動

水澤 心吾(みさわ しんご)/ 俳優

1969年、19歳で上京。
1974年「劇団俳小」に入団し舞台に立つ。1977年「天守物語」(日生劇場)の坂東玉三郎の相手役にオーディションで選ばれ、本格的に俳優の道を進む。以後、テレビ・ドラマ、映画、舞台を中心に活躍中。また、かたわら10年間ビジョン心理学、哲学を学ぶ。ハワイでビジョン心理学の創始者チャック・スベノーザ博士のトレイナーズ・コースを終了。10年間学んだニューヨーク・アクターズ・スタジオ演技メソッドと心理学を融合させた、独自のヒーリング心理学と演技メソッドを確立。
現在、セラピストとして各地で心理トレーナーとしても活躍。

たった一人の決断で六千人の命が救われた・・・
あなたはその事実を知っていましたか?


杉原千畝(すぎはら ちうね)、(SUGIHARA "Sempo" Chiune、)
1900年1月1日~1986年7月31日)は日本の官僚、外交官。
第二次世界大戦中、外務省の命令に反してトランジットビザ
(Transit visa、通過査証、通過ビザ)を発給することで

ドイツによる迫害から約6,000人のユダヤ人を救った。


 

~杉原千畝と命のビザの物語~

時代は1940年第二次世界大戦が激しさを極める中、
ドイツと旧ソビエトの間にあるリトアニアという小さな国での出来事である。
時のヨーロッパではナチスドイツが猛威をふるい、多くのユダヤ人が国を追われ、時には殺され・・・
ドイツに至っては、ニュルンベルク法によってユダヤ人は市民としての権利を剥奪されていた時代・・・
今も戦争の爪痕を残すアウシュビッツがあるポーランドにおいても同様にユダヤ人排斥の動きが強まり・・・
多くのユダヤ人が国を捨てて生き延びる方法を探していた時代・・・

リトアニアという国はポーランドの上に位置し、その国の日本領事館に在籍した外交官こそ、
杉原千畝氏である。ポーランドから脱出し、リトアニアに逃げ延びた人々においても、ナチスの手がすぐのびてくることは明白であり・・・生き延びる為には、第三国への出国が必要だったのです。ユダヤの人々は、外交官である杉原千畝氏に嘆願したのです。「欧州を脱出するために、日本通過のビザを発給してほしいと・・・。」
TOPへ戻る