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小和田 哲男(おわだ てつお)/ 静岡大学名誉教授

テーマ:明智光秀の実像に迫る
 
略歴
歴史ブームの火付け役。
1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。
現在、静岡大学名誉教授、文学博士。
ベストセラーとなった『日本の歴史がわかる本』などの啓蒙書の執筆を行い、NHKテレビ「その時歴史が動いた」や教育テレビ「日本史」などにも出演し、わかりやすい解説には定評がある。1996年NHK大河ドラマ「秀吉」の時代考証をはじめ、正月時代劇の時代考証も手掛けており、2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」と2009年NHK大河ドラマ「天地人」の時代考証も務める。
2009年5月より名誉教授。
 
特長
・信長家臣で一番の出世頭は、秀吉ではなく光秀だった?
「歴史は勝者が作る」という言葉があるように、現代に歴史が正しく伝わっているかは判断が難しい。
山崎の戦いで羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が光秀に勝利したことで、秀吉を美化した歴史が残っている可能性がある。
例えば『金ヶ崎の戦い』がそのひとつ。
戦況不利と見た信長が最小限の被害で抑えられるように、"金ヶ崎の退き口"と呼ばれる撤退戦を行った際の出来事。
歴史資料を見ると、秀吉自ら殿(しんがり)を志願して様々な策略を使って撤退したと伝わるが、実際には光秀と秀吉らに信長が命令したのではないかと言われている。
・様々な憶測が今なお飛び交う、本能寺の変~山崎の戦い。
光秀がなぜ、本能寺の変を起こしたのか、その説はいくつかある。
信長のパワハラに対する"怨恨説"。
光秀中心の世を作ろうと考えた"天下取り野望説"。
勧修寺晴豊や近衛前久ら公卿(朝廷の高官)に唆された"朝廷黒幕説"。
京から追い出されていた足利義昭を連れ戻すための"足利義昭黒幕説"。
最近有力になりつつある、"長宗我部元親関与説"。
これは、光秀の重臣・斎藤利三の妹が嫁いだ長宗我部元親の四国全土の所領を認めてもらうため、信長と謁見させる仲立ちを光秀が行った。
そして「四国は切り取り次第」と所領を認めてもらったが、信長が心変わりをして、大名であった三好氏を復活させるため、四国一部を三好氏に与えようとした。
それに怒った元親が、光秀に信長を討たせるように仕向けたという。
 
著書
「山内一豊~負け組からの立身出世学」
「武田信玄~知られざる実像~」
「織田家の人びと」
「戦国合戦事典」
「戦国三姉妹物語」
「呪術と占星の戦国史」
「日本人は歴史から何を学ぶべきか」
「歴史に学ぶ~乱世の守りと攻め~」
「桶狭間の戦い」
「人望の研究」
「豊臣秀次」
「戦国10大合戦の謎」
「日本の歴史がわかる本」
「戦うリーダーのための決断学」 他多数 
 
講演ジャンル
文化・生涯学習、人権、男女共同参画、教育講演会
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